昨晩から雪が降った。
それ自体は特に珍しいことではないのだが、うっすらと雪化粧に染まった街を歩いていると何だか心が弾んで足取りまで軽くなる。
これが「寒い」なのか「美しい」なのかを選ぶのなら、ほのかはもちろん「美しい」を選ぶだろう。
両手をコートのポケットに突っ込んで歩きながら、見上げた空に向かって息を吐いてみる。
一瞬フワッと空を舞った白い息が消えると、細かい雪がそっと頬に降りてきて、すぐに冷たさだけを残して溶けていった。
忠太郎の散歩がてら駅までなぎさを迎えに来ただけだし、この程度なら荷物になる傘を持って来なくて正解だった。

「・・うぅ、さむっ・・・」

交替に、今度は隣でなぎさが大きく息を吐いた。
こちらはほのかとは違って両手で口元を覆ったたままで、つまり暖を取る目的。
冷たい北風に、肩を竦めて丸くなりながら二三度それを繰り返し、そんな姿に隣のほのかが微かに唇を緩めた。


「それにしても・・」
言いながら、なぎさは妙な感心と呆れが混ざったような視線を足元に向けた。
「こう寒いのにホント元気だよねぇ」

その先では、二人を先行する忠太郎が白い息を吐きながら、サラブレッドのような軽やかな足取りではしゃいでいる。
彼の背中に乗るのは二人のパートナーで、首輪を掴むメップルが見事な手綱捌きを見せていた。

「相変わらずなぎさは冷めた奴だメポ」

そんなパートナーの声に振り返ることなく、メップルが吐き捨てた。
この言葉になぎさが敏感に食い付くのは言うまでもない。

「ちょっとそれ、どういう意味よ?」
「せっかく雪が降っても、寒さだけしか感じないなぎさは冷めた奴だって言ったんだメポ」
「失礼ねぇ。あたしだってね、この雪美容にすっごく感動してるんだからっ!」
「・・なぎさ?それを言うなら雪化粧だと思うけど」
「・・ミポ・・・」

と、新年早々から始まった二人の言い争いに、控えめにほのかが横槍を入れた。
それから、仕方なさそうな表情でミップルと見合わせる。

「そうそう、雪化粧」
「嘘だメポ。電車でなぎさはずっとお節のことばかり言ってたメポ」

「・・って、それは」
余計なことを暴露されたなぎさは、あたふたとほのかに目をやった。
「言わないって約束でしょっ!」

「ふふふ、そうなの?」
「・・あ、あはははは」

引きつったなぎさを見ながら、ほのかはクスクスと微笑んでいる。
確かにお節も楽しみだけど、ホントにそれが目当てだというわけではなかった。
なんとかいい言葉を探そうと思考回路をフル回転するが、それを見つける前にほのかがそっと柔らかい声を添えた。

「でも、お節って言っても昨日の残り物だし・・どうせなら昨日来てくれればよかったのに」
「・・あ、あはは。さすがに元旦からお邪魔しちゃ悪いかなって」

「私の家は」
そう言って、そっと唇に乗った雪をペロリと舐める。
「なぎさなら全然問題なかったのに」

実際、なぎさが来てくれることを想定してお正月の準備をしていたのだ。
お節にお餅にお雑煮はまだ沢山残っているし、もちろん炬燵にはきちんと蜜柑が完備されている。
だから、食欲旺盛ななぎさが来てくれるのは寧ろ大歓迎なのだ。

「じゃあ」
そう聞かされると、なぎさの声が弾みだした。
「来年はぜひお邪魔しちゃおっかなッ」

「ええッ、待ってるわ」

色々と美味しいもの御馳走してもらい、ほのかと一緒の炬燵に入りながらのんびりと一日を過ごす。
気が向けば初詣に行くのもいいかもしれない。
考えただけで、来年は最高の正月になりそうだ。
だが、そんな妄想にもいいところで水を差す言葉がポロリ。

「やっぱりなぎさは食べることしか考えてないメポ」

その説教をするような呆れ口調に、なぎさは少しムッとした。
ほのかに言われるならともかく、こいつだけには言われたくないのだ。

「いいでしょ?ほのかから誘ってくれてるんだから。だいたいね、あんただっていつも食べることにはうるさいじゃないの」
「なぎさとは一緒にしないで欲しいメポ」
「はぁ?」

こいつにだけは言われたくない。そう思っているのは彼もまた同じようだ。
負けじとメップルが嫌味ったらしく続けた。

「お節が目当てで、恋愛を知らないなぎさには雪を見ながら愛し合う二人のロマンティックさなんて分からないメポ」
「ミップルもメップルと一緒に雪が見られてすごく幸せミポ」
「ボクもメポよ。これはメップルからのプレゼントだメポ」
「嬉しいミポ」
「・・って、あんたが降らせたわけじゃないでしょ」

だが、彼女の声はもうすでに二匹の愛の世界には届いていない様子。
すっかり自分を無視して戯れ合う目の前の背中を見つめながら、なぎさの不機嫌はさらに加速していった。
でも、ここは我慢我慢。ほのかの前で大人気ない姿を見せたくはない。
それにメップルの食事など自分の気分ひとつで...

「・・ふぅん、じゃあミップルとの幸せな時間でお腹いっぱいだろうし・・」
これはあくまで独り言。そんな感じでさり気なくなぎさがそっぽを向いた。
「今日のご飯はいらないみたいね」

「・・メポっ!?」
「そりゃあミップルと見るこんなきれいな雪景色ならお腹いっぱいになってもしかたないか」
「ち、ちょっと待っただメポっ!」

慌てて振り返ったメップルに、なぎさがニヤリと悪戯に口元を歪めた。
これでこのくだらない勝負の勝利を確信する。
そんな駆け引きがおかしくて、隣ではほのかが小さく吹き出していた。
結局はどれだけ大人気ない姿を隠そうとしても無駄だということみたいだ。

「あれっ?違うの?」
「違う・・ミポ?」

「・・そ、それはメポ・・・」
「どうなのよ?」
「どうミポ?」

なぎさとミップルで完全に板挟みにされるメップル。
さらに返事を急かされてプルプルと震えだす。

「メポーッ!」
それから半ば開き直って爆発した。
「そうメポっ!ミップルとの愛でもうお腹はいっぱいだメポ」

「本当ミポ?嬉しいミポ」
「ボクはミップルと一緒に居られるだけで他には何もいらないメポよ。なぎさなんかとは違うメポ」

ボソっと最後の足掻きで嫌味を残すが、そんなものは痛くも痒くもない。
自分はお節を食べようとほのかに招待されているいるのだから、何とでも言わせておけばいいのだ。
まぁこれも、なぎさなりのよく分からない考えなのだが。

「じゃあ・・」
最後になぎさは、そのやり合いにまるで無関心そうに独り言を残した。
「メップルはご飯いらない。っと」


その一言を最後にこのやり合いも一段落。
白い息を吐きながら、二人と一頭はほんのりと雪化粧した街中をほのかの家まで歩いていった。
その中で、少し納得いかなさそうに忠太郎の背に揺られているのが約一匹。

「・・ふふふ、ホントにいいの?」

その仏頂面を覗いていたほのかがクスッとなぎさに耳打ちした。

「たまにはこれくらい言わなくちゃすぐに付け上がるんだもん。冗談だよ冗談」
「二人とも・・本当にいつもこうなんだから」
「だってメップルったらいつも一言が多いんだもん」

そう言って背中を丸めながら、顔の前で手のひらを擦り合わせるなぎさ。
その表情にはメップルに対するごめんねの気持ちが微かにこもっていた。
だが、その謝罪もすぐに裏切られることになることは、なぎさはまだ知らない。

「ふふっ、仲良くしてあげなくちゃ。それより・・」
と、ふと次の曲がり角をみて何かを思いついたほのかから急な提案がある。
「ちょっと寄り道してもいいかしら?」

「うん。あたしは別にいいけど?」
「じゃあ、急ぎましょ」
「・・って、どこに?」

そう聞くとなぎさの手をとり、ほのかがタタッと前を駆け始め...
「秘密ッ」
次の角を曲がるのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 

「・・・ほら、なぎさッ。思った通りやっぱりまだ誰も来てなかったわ」

白い息をふわっと舞わせながらそう言って、ほのかがニコリと振り返る。
やってきたのは近くの小さな公園だった。
一度唾を飲み込んで乱れた呼吸を整えてから眺めると、まだ足跡一つすら付いていない白い小世界がなぎさの目の前に開けていた。

「ホントだ。あたし達が一番乗りだね」
「ここなら、もしかするとまだきれいな雪が残ってるかもしれないと思って・・ね?」

いくら雪が降ったといってもその積もる量はたかが知れている。
だからアスファルトの道路では、降った雪はすぐに溶け、隅のほうに避けられて水っぽくなって塊っているような感じだ。
逆に、この公園の雪は薄くではあるが、柔らかく積もってその空間を丸っこい感じで包んでいた。
その中でも特に一面に敷かれた雪の絨毯は、一番乗りの二人にはなかなか幸運な光景だった。

「ねえ、ほのか?」
と、そんな光景になぎさが胸を高鳴らせた。
「せっかくだしちょっと遊んでこうよ?」

「さっきまで寒そうにしてたのに?」
「それとこれとは別。じゃあ始めの一歩は一緒に足跡をつけるんだから抜け駆けはダメだからね?」
「ふふふっ、それはどうかしら」

「・・あっ、ちょっとほのかっ!ずるいってば」

これがお約束と、悪戯に笑いながら抜け駆けをするふりをしたほのかを、なぎさが慌ててその腕を取って止めた。
雪の絨毯には間一髪のところで足跡は付いていない。
ちなみに、そう思っているのはなぎさだけで、見えないところでほのかはクスリと洩らしていた。

「抜け駆けは禁止って約束したよね?」
「・・あら?そうだった?」
「まったく・・・ほのかはいつも人の話を聞いてないんだから」

それはなぎさのほうだ。
その場にいた者全員がそう思ったのだが、敢えて誰も口にはしない。

「じゃあ」
そんな目を向けられていることも知らずに、なぎさは調子よく続けた。
「せーの、で一歩目だからねッ。いくよ?」

「ええ。いいわよ」
「ホント、抜け駆けは禁止だからね?」
「分かってるってば。心配しないで」

「うん。じゃあ・・・せーのッ」

二人同時に右足を一歩踏み出すと、見合わせるなり小さく笑い合った。
この公園の一番乗りは自分達だ。

「足跡・・付けちゃったね」
「ええ、しかも同時に二つも」

それから同じ歩幅で二歩三歩と歩いてみた。
真っ白だった絨毯には二人で描かれた足跡の平行線が真っすぐに伸びていく。
その隣には、遠慮がちな肉球がぺたぺたぺた。
振り返って見るその軌跡になんだか楽しくなって、二人はもう一度見合わせてクスリと微笑みを交わした。

「よっ・・と」

それから、なぎさが次の一歩を跳ねるように飛び出して振り返った。
その視線はほのかへの次の一歩のリクエスト。
もちろん運動万能ななぎさと同じ一歩は、ほのかにはちょっと無理な注文だ。

「・・・あっ!」
「だって・・転んじゃうかもしれないでしょ?」

なぎさの一歩を三歩使って進み、再び二人が肩を並べた。
だが、どうもなぎさはちょっぴり残念そうな表情。

「転びそうになっても、あたしがきちんと助けてあげたのにさ」
「その顔は・・なぎさは私にそうなって欲しかった。ってことかしら?」
「・・そ、そんなわけないじゃん!」

転びそうになるほのかを格好よく助けて・・・じゃなくて本当にただ、いつだって同じ歩幅を刻んでいたかっただけだ。
でも確かにこの一歩があれば、ほのかだってラクロス部で大活躍できるだろう。
これは少し大きく飛びすぎてしまったと反省だ。

「ねぇ、なぎさ?」
「・・んっ?」

と、なぎさの一人反省会に、ふとほのかが柔らかい声を挟んだ。
その視線は公園の隅のほうに何かを見つけたようで、なぎさの手を取るとそちらに歩きだした。
足跡の平行線はカクッと角度を変えて公園の片隅へと伸び、それとは逆に中央のほうにはぺたぺたと肉球の跡が伸びていった。

「見て。もう水仙の花が咲いてるわ」
「どこ?」
「・・ほらっ、ここ」

ほのかが見つけたのはうっすらと雪に包まれて咲いている水仙の花だった。
群生からはぐれたのか、それともせっかちに一輪だけ早咲きしたのか、ほのかの人差し指に白い花を揺らして応えてくれた。
風に乗った香りがなんとも心地よい。

「いい薫り。・・・水仙はね、そのきれいな花の姿と芳香がまるで仙人のようだからそう命名されたの」
「ふぅん。仙人ってこんな薫りがするんだ」
「・・なぎさったら・・・それは例えでしょ」

交替に鼻を近付けて水仙の香りを嗅ぎながら言うなぎさに、ほのかは仕方なさそうな笑顔でつっこむ。
言ってることが実になぎさらしかった。

「でも、確かに」
さらになぎさのお馬鹿な発言は続く。
「わざわざこんな雪の中で・・なんだか修業中の仙人みたいだよね」

「ふふっ、水仙は別名で雪中花っていうのよ」
「せっちゅうか?」
「ええ、雪の中でも春の訪れを教えてくれるからそう呼ばれてるの」

「春って・・ほのかぁ?今はまだ真冬じゃん」
なんて事を言っている。

「昔の暦だと今の一月から三月までが春だって学校で習ったじゃない」
「あれっ、そうだっけ?」
「それに冬休みの宿題にも出てたわよ。宿題・・ちゃんとしてる?」
「・・あ、あはははは」

自分の思わぬ一言で事態がまずい方向に進み始めてしまった。
こういう話になると、ほのかはとことんうるさくなってしまうのだ。
なんとかこの事態を打開しようと、今度は悪知恵の思考回路をフル回転。
するとすぐにそれを思いつく。やっぱりこういう時はアレしかない。

「・・ね、ねぇ、ほのか?」
「なーに?言い訳は聞かないからね」

キリッと眉毛を吊り上げて説教顔を近付けるほのか。
一方、なぎさはニヤリと笑うと、そんなほのかからゆっくりと後退りした。

「・・ほ、ほら、お正月から勉強の話はさ、その・・やめにしない?」
「だーめ!今日も一緒に宿題をするって理由で家を出たはずよね?」
「・・それはさ、アレだよアレ。言葉の網ってやつ?こうしないとお母さんうるさいんだもん」

「それを言うなら言葉の綾。それに、だいたい・・」
言葉詰めの最中であっても、冷静なツッコミは欠かさない。
「そんなおかしな使い方はしないわよ・・・」

半ば呆れかえってしまったかのように、ほのかは大きく溜め息をこぼした。
もちろん、自分を心配してくれているというその優しい気持ちはなぎさにも十分伝わっていた。
だが、今日に限ってはそれも少しだけ勘弁。
だから、こういう時は自分のペースに引き込んでしまうのが一番だ。
世話焼きのスイッチが入ってしまったほのかを元に戻そうと、敢えて蛇に睨まれた蛙を演じながらその隙を伺う。
だが、なかなかほのかに隙はできないという経過だった。

「・・あはは。そうなの?」
「・・もぅ、なぎさったら・・・それより宿題はちゃんと持ってきたのよね?」
「もちろん。できるだけほのかのを写・・じゃなくて、あたしだってお正月くらいは真面目なんだから」

言いながら背中を向け、これを見よと言わんばかりに鞄を見せつけるなぎさ。
そんな背中を見ながら、さっきと言ってることが全然違うじゃない。そう言いかけて途中でやめた。
これ以上このお調子者に付き合っていると、ずるずるとなぎさのペースに引き込まれそうだからだ。
ただ、どちらにせよ今回の駆け引きはなぎさの勝ちのようだ。

「・・ほーのかッ」

「えっ!?」
たった一瞬だけなぎさから視線を外した瞬間、冷たい感覚が軽く頬を弾いた。
「・・ち、ちょっとなぎさ」

「やっぱ、雪が積もると雪合戦にかぎるよね」
「待って!」
「あははッ、勝負に待ったは無しだって。それからこの勝負、あたしが勝ったら今日はもう勉強の話は無しだからね?」

ほのかのよそ見と同時に、すかさずなぎさが雪を拾い上げていたのだった。
続けてなぎさは雪の塊を二三個作ってほうり投げた。
もちろん手加減して投げてはいるのだが、それでもほのかは避けるのが精一杯で防戦一方。

「だいたい勝負って・・」

何をもって決着がつくのかまったく意味不明だ。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
とにかく、このなぎさの圧倒的に有利な状況をどうにかしなくては。

「・・ほらほら、ほのか?そんなこと言ってる暇に反撃してくれないと、雪合戦にならないじゃん」
「だって、そんなこと言ったって・・・」

相変わらずニヤリと笑って余裕たっぷりななぎさ。
対照的にピンチのほのかはというと、一先ず隠れる場所を探すがそれすらも見当たらない。
このままでは今日のお気に入りの服も濡らされてしまう。
と、そんなほのかのピンチを救おうと、公園の片隅で、彼女を忠実に慕う者となぎさを恨む者との思惑が一致した。メップルと忠太郎だ。

「メポーっ!!」
「わわっ、ちょっと・・」

メップルを背中に乗せた忠太郎がいきなりなぎさに向かって突進したのだった。
言葉途中のなぎさに容赦なく飛び掛かると、あっという間に柔らかい雪の上へと押し倒す。
それから、まずは忠太郎が後ろ足で雪を蹴ってなぎさの視界を奪った。

「今だメポっ!総攻撃だメポーっ!!」
「・・ちょっとタイム」
「待ったは無しだメポ。日頃の恨みここで晴らしてやるメポよ!」

なかなか起き上がれないなぎさに向かって、メップルから容赦の無い集中放火。
たちまち形勢が逆転した。
さらに、メップルの攻撃に続いてなぎさの前に立ったほのかが意地悪に口元を緩めた。

「・・えっ!?ほのかまで?ありえないってば」
「・・だって、これも勝負みたいだし・・・ふふッ」
「・・いや、ほのか?あれは冗談って言うか・・・その、とにかく考え直さない?ねっ?」

必死に説得するなぎさを気の毒には想うが、ほのかは悪戯に微笑むだけ。
だってこれはれっきとした勝負だし、そもそもなぎさから言い出したことだ。
それに、確かさっき反撃を望んでいるような事を言っていたのは気のせい?

「・・なぎさ?」
情けない笑顔でお尻をつけたまま後退りするなぎさの顔に、半分押しつけるような形で、ほのかが雪の塊をプレゼントしてやった。
「ごめんねッ!」

「わわっ、ほの・・」

おかげで再び雪の上に倒されてしまうなぎさ。
そんな彼女の災難をしてやったり見送ると...
「撤退だメポっ!」
メップルの号令で、一同は一目散に安全圏へと逃れるのだった。

「・・・ちょっと・・やりすぎちゃったかしら?」
「なぎさにはこれくらいがちょうどいいメポ」

一人取り残されたのは、雪に埋もれてなんとも情けない姿のなぎさだった。
だが、このまま何事もなく終わるわけがないということは言うまでもない。
まるで時間ごと沈黙させるかのようななぎさの姿はこれから訪れる嵐の前兆である。
 
「・・メップルーっ!!」
案の定、そんな彼女が静かに震えだしたかと思うと、一気に両手を突き上げて雪を跳ね除けた。
「人の気も知らないでっ!」

「・・なぎさの気分なんか知りたくもないメポ」
「今日こそ絶対に許さないんだからねっ!!」
「望むところだメポっ!」

同時に雪を拾い上げて激しい火花を散らし始める一人と一匹。
何も知らないメップルに、先程のごめんなさいを返せと言いたいくらいである。
これにはさすがに少し同情したほのかも気の毒そうにその勝負を見守っていた。

「止めなくていいミポ?」
「・・ふふふ、喧嘩する程仲がいいって言うし・・そっとしておきましょう」

早速始まった戦いを心配そうに見ながらそう言うミップルを、ほのかがそっと胸に抱えた。
そんな二人の心配を余所に、本気の雪合戦はますます白熱していく。
と言っても、それは完全に一方的な展開になっているのだが。

「・・ほのかは」
その展開に少し安心したミップルが、ふと脇に揺れている花を指して言った。
「その花が好きミポ?」

「えっ!?」
「さっきなぎさと楽しそうに話してたミポ」
「・・あっ、水仙の花ね?ほらッ、ミップル」

そう言えば、なぎさの反撃の流れ弾からこの花を守ろうと、無意識にこの場所に逃げてきたのだった。
目の前で相変わらず健気に咲いている白い花。
その花に胸元のミップルをそっと近づけてやった。

「いい薫りミポ」
「ふふふ、仙人はこんな薫りがするんですって」
「・・仙人ミポ?」

「・・そうね、簡単に言えばたくさん修業をした人のことかしら?」
言いながら、先程のなぎさを思い出してクスッとこぼすほのか。
「なぎさが言ってたのよ」

「じゃあこの花もたくさんの試練を乗り越えてやっと咲いたミポ?なぎさは物知りミポ」
「ええッ、そうね」

そう言って、相変わらず美しく咲く花にさり気なく微笑みかけた。
確かに、この環境で咲くことを考えれば、水仙のイメージはミップルの言ったような感じかもしれない。
ふと水仙の花言葉が気になった。そういえば水仙の、その中でも早咲きをする房咲水仙の花言葉は「記念」ともう一つ...

「・・ねぇ、ミップル?」
未だ水仙の薫りに乙女心を寄せているミップルに、そっとほのかが問い掛けた。
「ミップルにはメップルとの記念日ってある?」

「記念日ミポ?」
「ええ、記念日」

その手の中で小さな体をクルッと回転させてほのかと向き合った。
ほのかは、そんなミップルの次の言葉を静かに待つ。

「光の園で暮らしていた頃は毎日が記念日だったミポ。でも、やっぱり・・」
しばらくして、手で頬を押さえて、少し照れながらメップルが答えた。
「虹の園で最初にメップルと再会した時ミポ」

「・・そっか、ミップルはメップルよりもだいぶ早くからこっちに居たものね」
「そうミポ。その間ずっと一人で不安だったミポ」
「・・そうよね・・・」

でも、ミップルはそんな困難を乗り越えた。
水仙の花言葉の「記念」とは、困難の先にあるものなのかもしれない。かすかに降る雪に包まれる花を目の前に、ふとほのかはそんなことを考えていた。
しばらくして、そんな黙り込むほのかに心配そうにミップルが続けた。

「・・それよりほのか?そろそろ帰らないと家の人が心配するミポ?」
「えっ?」

そういえば、駅までなぎさを迎えに行くだけと伝えたきりかなりの寄り道をしてしまっていた。
今頃、祖母のさなえはさぞかし二人の到着を待ちわびているであろう。

「いけない・・忘れてたわ」
「今頃、きっと二人の帰りを待ってるミポ」
「そうね。じゃあ・・帰ってお昼ご飯にしましょ」

それに雪合戦もこれ以上やってもキリがないし、このあたりで止めておいたほうがよさそうだ。
そう言うと、ほのかは白熱している二人の仲裁に向かうのだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 

「あー、悔しいーっ!ぜったいにありえない!!」
「これが現実メポ。なぎさなんかにやられるわけがないメポ」

ポケットから満足気に勝ち誇った声もそれっきり、メップルは一眠りしようと勝ち逃げするのだった。
公園での雪合戦はメップルの完封勝利。というのも、熱くなっていたなぎさは足元で走り回る忠太郎に翻弄され、逆にその背中からメップルは的確になぎさの隙をついたのだった。
そんなわけで、公園からの帰り道はここまで終始ご機嫌ナナメな彼女。
さらにその不機嫌の矛先は忠太郎にまで伸びた。
 
「だいたい・・」
なぎさは不機嫌な視線を目の前の背中に飛ばす。
「どうして忠太郎がメップルの味方なわけ?」

だがそんな愚痴を飛ばしても、もちろん何も知らない忠太郎だから、二人の前を左右ウロウロと歩いて進みながら白い息を吐くだけ。
そんなまるで誰からも相手にされないなぎさの様子に、隣のほのかが思わず吹き出してしまった。

「ちょっと、ほのかぁ?」
「だって、あんまりおかしいから」

「こっちは、お尻は痛いし手は冷たいし・・」
そんな一言に、さらに不機嫌の矛先は替わる。
「もう最悪なんだからね?」

「ふふっ、それは大変」
「・・・もぅ・・笑い事じゃないってば!」
「そうね・・じゃあ、帰ったらお風呂貸すけど?」

だが、今度はばかり向けた矛先が悪かったようだ。
ほのかはこういう時の抜け道をよく知っている。
そんな風に言えば、なぎさは突然すぎる申し出にいつも「ううん、それは悪いしやめとくよ」と、両手を前に慌てて遠慮するのだ。

「そう?でも・・」
遠慮なんかしなくてもいいのに。ほのかは心の中で小さく微笑むのだった。
「お昼ご飯の前のいい運動になったじゃないッ」

「うーん。そういえば確かに、急にお腹がへってきちゃったかも」
「でしょ?食べる物は沢山用意したから遠慮せずに食べていってね」
「あはは、じゃあぜひそうさせてもおうかなッ」

そして、マイナスをプラスにする方法もまた、よく知っている。
結局ほのかは、なぎさですらいつの間に直ったのか気づかないくらいさり気なく、彼女の機嫌を宥めてしまうのだ。
拗ねているなぎさも可愛いけれど、やっぱり彼女にはいつも上機嫌で自分の隣を歩いていて欲しい。
そんな事を思いながらなぎさの機嫌直しを済ませると、ポケットに挿していた花をそっと鼻に近づけた。
摘まれても尚、相変わらず漂うその心地よい香りが肺から全身へと巡っていくような気がした。

「その花・・」
と、なぎさ白い息混じりに言った。
「摘んできたんだ?」

「ええッ。ちょうど花瓶が一つ空いてたところだったから。なるべくどこかで摘んできた花を生けるようにしてるの」
「ふーん。あたしだったらたぶん観葉植物なんかを置いちゃうけど」
「ふふふ、あまり世話しなくてもいいものね?でも、大変だけれどそれがまた楽しいのよ」
「あはは、そっか。じゃあこれからは可愛い花を見つけたらほのかにプレゼントするよ」

交互に吐かれる白い息は、静かな住宅街に何気ない会話だけをふわりと残して消えていく。
ふと目をやると、水仙の花を感じながら瞳を閉じたほのかのまつ毛にそっと雪が舞い降りた。そしてそれもほんの一瞬、すぐにどこかへ溶けていく。
そんな雪景色の中のほのかに、同じ女の子ながらなぎさは不覚にも見惚れてしまう。

「・・ありがとう」
「えっ!?」
「お花・・プレゼントしてくれるんでしょ?楽しみにしてるわ」

「あっ・・」
と、急に振り向いたほのかに慌てて甘い眼差しを隠すなぎさ。
「うん。あはは・・・」

少し火照ったそれを隠すかのように、かじかんだ両手を頬に押し当てた。
冷えた手が気恥ずかしさごと頬から熱を汲み取ってくれる。言い換えれば、その頬を通してほのかがくれた暖が優しくなぎさの手を包んだのだった。

「どうかした?」

「ううん」
それでもまだ擦り合わせた手は相変わらず冷たく、口元を覆って息を吐く。
「何でもないよ」

それから少しだけ生まれた暖が逃げないように、すぐに両手を上着のポケットに突っ込んだ。
ポケットの中で軽く拳を握ると、わずかな暖が残る。だが、やがてそれもゆっくりと消えていくと、再びなぎさの手は指先から冷え始めるのだった。
なぎさには少し悪い気もするが、やっぱり公園に行って正解だった。

「ねぇ、なぎさ?」
そんなことを思いながらほのかは秘かに忍び笑い。
「大丈夫?」

「・・へっ?」
「だって、手・・さっきからすごく冷たそうだから」
「あはは、もう正直ありえないって感じかも」

そう言って、なぎさは硬い表情のまま肩をすくめてみせた。
だが、ほのかはもっと雪が降ればいいと思ったし、もっと寒くなってしまえばいいとさえ願った。
だって、なぎさの手が冷えれば冷えるほど――

「じゃあ・・」
彼女のポッケにお邪魔するのに、これ以上の理由がなくなるから。
「私が暖めてあげるッ。ポケットにお邪魔してもいいかしら?」

「あはは、もちろんだよ。どうぞどうぞ」
「それじゃあ・・お邪魔しちゃうね?」

結局はいつもほのかが一歩先を見た駆け引きをする。
公園に行けばきっとなぎさなら雪合戦をしただろうし、すると、きっとこうして手を冷やしていただろう。
そんななぎさのポッケにお邪魔する。そんなことはほんの些細などうってことのない時間かもしれない。
でもそれは、ほのかにとっては暖かくゆったりと流れていく大切な時間なのだ。
なぎさの手ほどではないが、少し冷えてしまった手に白い息を吹き掛ける。
それから、その左手をゆっくりと遠慮気味になぎさの右ポッケにお邪魔した。

「ほのかの手・・暖かいね」
「ふふふ、冷たかったら・・なぎさの手を暖められないでしょ?」
「それもそうか」

その手の到着に、ずっと寒そうにしていたなぎさの表情がフワッと緩んだ。
歩きながら、少し窮屈なポッケの中で上手くお互いの手の位置を確認し合う。
そしてそれもすぐに落ち着くと、今度は指を絡ませ合って繋ぐのだった。
しばらくは、ほのかのそれがなぎさの手へと暖を分けていくが、二人の手が同じ温度になるや今度は二人で温もりを共有しながら暖め合っていく。
そんな二人の温もりの起点に、スッと水仙の花が生けられた。

「・・うん。その花もきっと寒がってるよね?温もりをお裾分けしなくちゃ」
「ええ、お正月から楽しませて貰ったし・・」
「感謝だね?何事もありがとうの気持ちからだよッ」
「ふふふッ」

そんな事をどこから覚えてきたのだろう。そんななぎさらしさはやっぱり今年も変わらず健在で、肩を寄せて歩きながらほのかはなんだか嬉しくなる。
この瞬間を大切にしたい。こんな時間がいつまでも続いて欲しい。
だから、その願いを託して、今日偶然出会った水仙の花を大切に生けよう。
だって、水仙の、その中でも早咲きをする房咲水仙の花言葉は「記念」ともう一つ...

「なぎさ?こんな私だけど・・これからもよろしくね」
「急にどうしたの?」

「ふふふッ」
もう一つ、それは『思い出』だから。
「新年の挨拶かしら」

この右ポッケの中のさらにその手の中で、沢山の困難を乗り越えてきた。それはまるで厳しい環境の中で水仙が花をつけるまでの過程を辿るかのように。
だから、二人で共有する今という瞬間が輝くような記念として咲き誇り、また、その困難の日々でさえ今となっては思い出なのだ。
そして、明日になればまた一つ『記念』が生まれて、何気ない今日が、かけがえのない『思い出』となる。
そんな風に数えきれないくらいの思い出を二人で暖めていきたい。そう思った。

「ほのか?こんなあたしだからさ、たぶんこれからもいっぱい迷惑もかけちゃうと思うけど・・」
歩きながらゴホンと一つ咳払い。それから少し照れながらなぎさが言った。
「今年もよろしくねッ」

「なぎさこそ急に改まってどうしたの?」
「あははッ、新年のご挨拶じゃん」

気づけば、なぎさの右ポッケの中で硬く結ばれた手はすっかり暖かくなり、なんだか二人の心まで暖かく満たしているようであった。
そんな温もりに満ちたポッケから水仙の花が顔を出して揺れている。

「ねぇ、なぎさ?水仙の花言葉はね――」

その心地よい薫りに包まれながら肩を寄せ合って帰路を進んでいく二人。
そんな二人が進んだ道にそっと舞った残り香は、雪に溶けてフワリと踊るのだった。



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