「ねぇ、どうしてこんな所で待ち合わせするわけ?」 『・・ふふ、たまにはいいじゃない』 「いや、たまにはって・・」 『でも、私・・もう着いちゃったし・・・待ってるわ』 受話器を持つ反対の手で額に滲む汗を拭うなぎさ。 今日は七夕。 当然これから二人は一緒にお祭りに行くことになっているのだが、その待ち合わせ場所がどういうわけかこの坂道の先にあるということであった。 『・・ふふふ』 「なに?」 『なぎさったら、息・・あがっちゃってるわよ』 いくらほとんど日が落ちかけているとはいえ、夏先のこの時間はもう結構な温度になっている。 受話器を通り抜ける自分のあがった息とは対照的なほのかの涼しげな声に、なぎさはポカンと口を開けた。 もちろん涼しさを分けてもらえるわけでもなく、口に入るのは生温い空気。 さらに一向に見えない丘の頂きに、なぎさは少し不機嫌に続けた。 「仕方ないでしょー?さっきまで練習だったんだもん。帰ってすぐに来たんだから感謝してよね?」 『・・ええ、ありがとう。大会・・近いもんね?』 「うんッ!でも、おかげで浴衣・・着られなかったじゃん・・・」 『私は今日も浴衣よ』 「いいよねー、あたしなんか・・今年は久々におニューの浴衣だったのにな・・・」 『でもまだ夏祭りもあるじゃない。また着付・・してあげよっか?』 「あはは、よろしくッ!」 歩きながらなぎさの意識に浮かぶのは、この坂道の先で確かに自分を待っているはずのほのかの姿。 だが、今日のほのかの柔らかい声はなぜかいつも以上に清楚な彼女を思わせる。 そしてどういうわけか、今日に限ってほのかが自分より少し大人びいているように感じるのであった。 なんだかいつものほのかじゃない気がする... 「・・ねぇ、ほのか?」 『どうしたの?』 「ホントに・・そこにいるよね?」 『もちろんよ。だって私が呼び出したのよ?』 「・・じゃあさ、そこから何が見える?」 『・・・そうね・・私たちの街全体が見渡せるかしら』 そこからの街の景色はなぎさもよく知っている。 やはりほのかは間違いなくそこにいて自分を待ってくれているのだと、なぎさは小さく口元を緩めた。 それから少しだけ歩調が早まった。 『・・どうして?』 「ううん、なんでもない」 『心配しなくても・・私はここでなぎさを待ってるし、ここにいるのはいつも通りの私よ』 「・・えっ!?どうしてわかったの?」 『・・ふふ、なぎさの考えてることぐらいすぐにわかるわよ』 「あはは、それもそっか」 簡単に納得して笑い合う二人なのだが、これがいかにすごいことなのかはまったく気づいていない様子。 それもそのはず、これくらい二人にとっては太陽が東から昇って西に沈むくらい普通なのであるからだ。 「もうすぐ着くかなッ」 『さすがなぎさね』 「・・んっ、なにが?」 『この坂・・私は登るのにもっと時間かかったから』 「あったりまえじゃんッ!これでもラクロス部で毎日鍛えてるんだから」 『そうね。・・でも、そんなに慌てなくてもよかったのに』 「だって・・」 もう一度額の汗を拭う。それから受話器越しに少しはにかんで言った。 「・・ほのかに早く会いたかったからさ」 『・・ホントに?』 「うんッ!」 『・・ふふ、ありがとう』 少しだけ子供の声に戻ったほのかはやはりいつも通りの彼女だった。 続けてそんなほのかの柔らかい声が、なぎさの呼吸の合間を見計らって受話器を通り抜けた。 『・・なぎさ?』 「なーに?」 『・・・天の川・・きれいね』 そういえばなぎさはまだゆっくりと今日の星空を眺めていなかった。 一度立ち止まって見上げた空はすでに暗くなっていて、それを分かつようにまたたく星筋が伸びている。 「ホント・・きれいだね」 『・・ええ、だって今日は七夕ですもの。なぎさは・・知ってる?七夕ってどんな日か』 その神秘の世界を堪能するや、彼女はまたすぐに早足で歩き始めた。 その丘の頂き――ほのかの元まであとわずか。 「ちょっとほのかぁ?あたしをバカにしてるでしょー?七夕はね、愛し合う織姫と彦星が年に一度だけ会えるとってもロマンチックな日なんだからッ」 『・・ふふ、そうね。でもまたすぐに会えない一年間・・二人はどんな気持ちで過ごすのかしら?』 「・・うーん、あたしなら考えられないな。だってほのかと一年間も会えなかったら死んじゃいそうだもん」 歩きながら天の川を境に遠く引き離されたアルタイルとベガを探すなぎさ。 もし、自分とほのかもこんな風に遠く離れることになったら... そんなことを考えるだけで気が沈む。 『でも、もしそうなったら・・なぎさはどうする?』 「そんなの絶対にありえないからいいの!縁起でもないこと言わないでよ・・・」 『だからもしもの話よ』 「ホントにもしもの話?」 『ええ、ホントにもしも』 「じゃああたしなら・・」 ようやく見えた欅の木に口元を緩め、なぎさは少し声を弾ませて言った。 「・・毎日メールするかな」 『・・でも昔の人にメールなんてないわよ?』 「いいのいいのッ!あたし達は現代人だもん」 『・・ふふ、そうね』 なぎさらしいその答えに、欅の木の下には穏やかに微笑むほのかの姿。 その流れるように凛とした黒髪を頭の上で一つに束ね、鮮やかな浴衣で身を纏う彼女に一瞬ハッと立ち尽くしてしまうなぎさ。 そんなほのかはまだなぎさの到着に気づいていないのか、ポンポンッと手に持つヨーヨーを弾いては澄んだ瞳で天の川を眺めていた。 そのまるで天女のような彼女と自分なんかが今本当にこの携帯で繋がっているのかどうか疑いたくなるほどだ。 「・・ほのか?」 目の前の彼女が消えてしまわないようにそっと優しくなぎさは言った。 「・・着いたよ・・・」 『・・あっ・・・』 もちろん、彼女がこのまま本当に消えてしまうなんてことはありえない。 やはり彼女は確かにほのかで、なぎさの姿を見つけるやニコリと胸の前で小さく手を振った。 そんないつも通りのほのかになぎさもホッと一安心、携帯を切って駆け寄ろうとするのだが... 『ねぇ・・なぎさ?』 受話器から聞こえたほのかの声で通話が繋ぎ止められるのであった。 「どうしたの?」 『なぎさはどう思う?』 「んっ、何が?」 『彦星はね・・』 機械を介した声に彼女のいつもの声が混ざり込む。 なぎさが目の前まで近づくのを待って、ほのかがそっと囁いた。 『・・一年ぶりに会った織姫に・・まずは何をしてあげるのかなって?』 覗き込むように見つめるほのかの黒い瞳は逆にいつものなぎさを思わせる。 いつもなら逆になぎさが質問し、それにほのかが的確に応えてやるところなのだ。 「・・そうだね・・・」 そんなほのかになぎさはしばらく考えた後、一つ彼女なりの答えを導いてやった。 「あたしなら・・」 片手を腰に、それからもう一方の手を頭に優しく回して添える。 それから大切にほのかを自分の胸に引き寄せながらそっと続けた。 「・・こうするかな・・・」 じっと黙ってなぎさを見つめ、その身をすべて彼女に委ねるほのか。 そんな彼女に一つ笑いかけてコツンと額を合わせる。 それから手に力を入れ、そっとほのかのそれを自分の唇に重ねるのだった。 二つの影は満天の星空の、優しく揺れる欅の木の下でしばらく一つに交わった後、ゆっくりと離れて揺れる。 いつのまにか切れた携帯をパチンと閉じ、再度ほのかを見つめながらなぎさが続けた。 「・・おまたせ・・・」 「それより・・」 ほのかの左手を目線にふと思い出して、なぎさが少し不機嫌に言った。 「・・ほのか、先にお祭り行ったでしょ?」 「・・えっ!?」 「だって、ヨーヨー」 「あっ、ここにくる前にお婆ちゃまとちょっとね」 「で、あたしの分は?」 「あっ・・」 苦笑いでポリポリと首筋あたりを掻くほのか。 とりあえず口にしたのは苦し紛れの言い訳だった。 「ほ、ほら?なぎさとはこれから一緒に・・ね?」 「一人でやってもおもしろくないじゃん」 「じゃあ私ももう一回するから?」 「それって、ほのかがあたしの分まで出してくれるんだよね?」 都合のいいことを言い始めるなぎさに、なんだか話がまずい方向に進みつつあるという予感に駆られる。 ただ、こういう時のいちばん効果的な抜け道を熟知しているにのもまたほのかだった。 「じゃあほのかの奢・・」 「えいッ!」 無邪気を作った笑顔で、ほのかの手から放たれたヨーヨーがなぎさの頬をポンッと弾いた。 一瞬頬に冷たい感覚が触れるが、次に彼女の脳裏に触れたのは物凄く嫌な予感。 「ち、ちょっとほの・・」 「えいッ!」 「いや、割れるって・・」 「えいッ!」 すっかりあたふたするなぎさを面白がって彼女の頬を狙い続けるほのか。 なんとかそのヨーヨーを捕まえようと両手を動かすその姿がまたなんとも可愛らしくてやめられない。 そんな彼女を、ほのかは相変わらずの笑顔で踊らせ続けた。 「ほのか!?マジでヤバいってば!」 「えいッ!」 「ちょっと?聞いて・・」 「えいッ!」 パンッ! 「・・あっ・・・」 当然、お決まりのごとく割れてしまったヨーヨー。 一瞬、時間が止まって二人見合わせ、そんな時間をなぎさの髪から滴る雫が再びゆっくりと流し始めた。 「ちょっとほのか?」 「ふふ、割れちゃったね」 濡れた髪から惨めに雫を垂らすなぎさとは対照的なほのかの意地悪な笑顔。 ハンカチを取り出してなぎさの顔を拭いててやるもその様子は楽しんでいるようにしか思えない。 そんなまったく反省の色も見せないほのかに、なぎさの体がプルプルと震えたかと思うとすぐに両手を突き上げて爆発した。 「割れちゃったね・・じゃなーいッ!!そんなの割れるに決まってるでしょ?」 「ふふ、ごめんなさい」 「ちょっとほのか?ホントに反省してるの?」 「ええ、とても」 顔を真っ赤に、今にも頭から煙でも吹き出しそうな勢いのなぎさを華麗にかわしてみせるほのか。 その扱いには十分すぎるほど慣れている彼女にとって、なぎさを手のひらの上で転がすことぐらいお手のものなのだ。 「もう・・」 すっかりほのかの台本の主役を演じるなぎさは情けなく服の袖を引っ張る。 「・・結構濡れてるし・・これじゃ乾くまでお祭りに行けないじゃん」 「夏だしすぐに乾くわよ」 「・・って元々はほのかせいなんだからね?」 「ふふ、ごめんなさい」 「ホント・・」 一向に反省の色のないほのかに諦めをつけたのか、今度はふざけ口調で続ける。 「・・反省しなさい?」 「はーいッ」 「うむ、よろしい」 結局、組んだ腕をその前に、エヘンと偉そうに胸を張るなぎさ。 そんな彼女ががおかしくて、最後には見合わせて二人小さく吹き出してしまうのだった。 「じゃあ乾くまで膝枕ね」 「それで許してくれるの?」 「うん、あと林檎飴はほのかが奢ってくれるみたいだしさ」 「ちょっと?そんな約束はしてな・・」 「いいのいいの。ほら・・」 言葉途中でほのかの背中に回って肩に両手を、それから浴衣が汚れない所に誘導しながらなぎさが続ける。 「・・座った座った」 「・・もう・・なぎさったら都合いいんだから・・・」 「あはは、じゃあお邪魔しまーす」 結局はどちらとも相手を自分の台本の主役に抜擢することぐらい容易くやってのけるようである。 仕方なさそうに表情を緩めるほのかとは対照的に上機嫌ななぎさ。 だが、足元のなぎさと目が合うなりすぐに彼女の笑顔がほのかにも移るのだった。 「やっぱりほのかの膝枕は最高だよ」 「そうなの?」 「うんッ!マジで気持ちいいしさ」 「それってもしかして私が太ってるって意味?」 なぎさの目の前には少し拗ねるほのかの膨れっ面。 そんな彼女が迫るなり慌ててなぎさがブンブンと頭を左右に振った。 それからどうしてか少し照れた表情が浮き出る。 「違うってば。気持ちいいってのは・・あったかいていうか・・」 「・・えっ?」 「・・優しいっていうか・・そのさ・・・」 「・・ふふ、なぎさ?ありがとう」 「あはは、うんッ!」 なぎさの言葉にうっとりと目を細め、ほのかはその小麦色の頬に手を重ねた。 静かな欅坂の頂き。 そんな二人っきりの世界ににゆっくりと至福の時間が舞い降りようとした。 ・・のだが、すぐにそのムードをぶち壊す者が一人。 「・・・でもさ・・」 一度頭を浮かせてほのかの浴衣を手にとり、なぎさがニヤリと怪しい笑顔を見せた。 「・・これ、邪魔だよね」 「ちょっと、なぎさ?くすぐった・・」 「あはは、我慢我慢ッ」 それから両手でモゾモゾと器用に浴衣を二つに引っ張ると、その奥の白い足が露となった。 「・・って、なぎさ!?」 「いいのいいの、別に誰も見てないじゃん?」 「そういう問題じゃなく・・ってくすぐったいってば」 「あはは、だってほのかの太もも・・スベスベして気持ちいいんだもん」 まるで子猫のようにその白い股に頬を寄せるなぎさ。 それからしばらく、そのくすぐったさと恥ずかしさに慣れるとようやくほのかも落ち着きを取り戻した。 そんな二人を今度こそ優しく包んだのは至福の時間であった。 「・・なぎさ?」 「んっ?」 「・・愛してる・・・」 「・・うん・・あたしも」 「・・・今日の星・・」 辺りはどこもでも静か。そんなしばらくの静寂だけの世界の中にふとほのかが言葉を添えた。 「・・すごくきれいね」 空にはいくつもの星がまたたいて夜空をぼんやりと明るく照らしている。 そして、相変わらず今日のその世界で一際明るく輝いているのが織姫星と彦星で、その二つの星を薄光の筋が悪戯にも真っ二つにさえぎっていた。 「うん、マジで幻想的で・・ロマンチックって感じ」 ほのかの顎のそのまた先に広がるそんな夜空をうっとりと眺めながら、なぎさがそっと言った。 そんな足元のなぎさの髪にゆっくりと優しく指をとき流すほのか。 ふと視線を落とした先に彼女の茶色がかった瞳を見ると、そっと小さく口元を緩めるのだった。 「・・んっ?」 ・・と、ぼんやりと空を見上げていたなぎさがふとほのかの瞳の行き先に気づく。 こちらも何かを考えながらぼんやりとなぎさの瞳に見入っているようだった。 「どうしたの?」 「・・えっ!?」 「ほら、なんだかぼんやりしてたからさ?」 「そう?そんなことないと思うけど?」 「ホントにぃ?」 「ええ。それより・・」 髪をといていた手がそっと耳に動く。その柔らかい耳たぶを軽く弾きながらほのかがクスリと続けた。 「・・なぎさこそどうしたの?」 「へっ?あたし?」 「ええ、だって幸せそうに星を見てたと思ったら急に難しそうな顔になるんだもの」 「・・んー、考え事?」 「考え事?」 「うん・・」 ウインクした反対の瞳の目の前で、親指と人差し指を使って「少し」を作ってみせるなぎさ。 「・・星を見てたらさ、ちょっとね」 「ふうん・・てっきり私のこと・・考えてたのかと思っちゃった」 そんななぎさに、ほのかはつまらなさそうに頬を膨らませて星空に目をやった。 さっきまで自分を夢中にしていたそれは、今度はなぎさをすっかり奪っているような気がする。 もちろん、なんだか負けた気分になっているほのかの心中など知る由もない星空は、相変わらずその神秘の姿で地上の世界を覆っていた。 「あはは・・」 そんなほのかに、なぎさはちょっぴり可愛らしく、また嬉しくなった。 「・・ほのかのこと考えてたんだけどね」 「・・えっ?」 「だーかーら、星を見ながらずっとほのかのこと考えてたの」 ニヤリと笑いながらほのかの頬に指を伸ばすなぎさ。 意外な一言にすぐに視線を戻して言葉を探すが、プニッっと突いたその指がほのかの次の言葉をわずかに歪ませた。 「私のこと?」 「うんッ!聞きたい?」 「・・ふふ、聞かせてくれるの?」 「いいよッ・・って実はあたしが聞きたいんだけどね」 「なぎさが?」 「うんッ、ほのかはね・・」 めまぐるしく流れが変わる展開に不思議顔のほのか。そんな彼女の瞳に、なぎさがそっと問い掛けた。 「・・どうしてここを待ち合わせにしたのかなって」 「・・えっ?」 「だってわざわざここで待ち合わせなんて初めてじゃん?なんか理由・・あるんでしょ?」 確かになぎさの言う通り。 七夕だからこそ、今日この場所を待ち合わせ場所にしたことに意味がある。 今かとほのかの顔を覗き込むようにして返事を待つなぎさに、ほのかは小さく笑いかけた。 もちろん何も知らずながらではあるが、こんな自分のちょっとした自己満足に付き合ってくれるなぎさを本当に嬉しく思う。 「・・ふふ、ここを待ち合わせにしたのは・・」 夏の夜の暖かい風に、ほのかの柔らかい声がそっと溶け込んだ。 「・・織姫になりたかったからかしら」 「えーっ!」 「ちょっと、なぎさ!?そんなに驚くこと?」 「だってほのかがそんなこと言うなんて・・・」 「おかしいかしら?」 「あたしならともかくさ、ほのかが・・ねぇ?」 「意地悪・・・私だって・・」 ニヤリと笑うなぎさに、プイッとそっぽをむいてほのかが言う。 「・・女の子なんだもん」 「あはは、ごめんごめん。でもどうしてここなら織姫になれるの?」 「知らなーい」 「そんなに拗ねないでさ、教えてよ。ねっ?」 頭を起こして改まって姿勢正しく正座するなぎさ。 それから顔の前で手を合わせてペコリと頭を下げた。 だが、ほのかはまだ少し乗り気ではない様子。 「どうせまた・・」 彼女は相変わらずそっぽを向いたまま呟いた。 「・・笑うんだもん・・・」 「笑わない笑わない!ぜーったいに笑わないからさ」 「・・ホントに?」 「うんッ、もうたこ焼きに誓って約束するよ!」 いまいち誓う物がおかしいのだが、まぁそれもなぎさらしいと渋々ながら納得。 ようやくほのかがなぎさのほうに顔を戻して首でなぎさを促すと... 「じゃあ・・」 「あはは、はいはい」 どうやらたった一言でその意味が伝わったようだ。 なぎさがほのかの背中に回ると、両手両足で彼女を包み込むように座り直すのだった。 「・・・なぎさ、見て?」 「んっ?」 ほのかの指差す先に広がるのは光を帯びてきらめく彼女達の街の姿。 それからゆっくりと動く指の行き先をその小さな肩越しになぎさも追う。 「あの辺が・・」 「ほのかの家だね?」 「・・ええ、それから・・」 今度は反対方向にススーッと指が動いていく。 「・・あの川の向こうになぎさの家でしょ?」 「・・あっ、もしかしてあたしの家が彦星でほのかの家が織姫星ってこと?」 「・・ふふ、そうよ」 「でもさ、じゃああの川が天の川ってのはちょっと大袈裟だよ」 幸せそうにうっとりと話すほのかだが、話を聞きながらもっとロマンチックを期待していたのか、なぎさは少し冷めたように言った。 そんななぎさの表情を背中で悟ってか、クスリとほのかが続けた。 「・・ううん、天の川は別のところにちゃんとあるじゃない?」 「別のところ?」 「ええ・・」 お腹に回されたなぎさの手を借りると、それをゆっくりと天の川に誘導する。 「・・ここにちゃんと」 「・・あっ・・・」 「ねっ?ちゃんとあるでしょ?」 なぎさの指は二人の家を分かつように敷かれた国道を真っすぐに辿るように誘導されていった。 その国道には車が絶えず流れていて光の流れがどこまでも続いている。 その一際目立つ光の筋が、この丘の上からはまるで川の流れのように見えるのだった。 「ホントだ・・きれい・・・」 「でしょ?それからね・・」 今度は夜空に誘導されるなぎさ。すぐにほのかがそれを見つけて続けた。 「・・あれがベガであれがアルタイル」 「・・だね、それからあれが天のが・・あっ!」 「ふふ、気づいた?」 言葉を止めたなぎさにほのかが首を回して少し嬉しそうに笑いかける。 気づいたことはなんともロマンチックなことであった。 「・・・ホント・・ほのかは織姫だ」 「ちゃんとなぎさが迎えに来てくれて嬉しかったわ」 「だってなんたってあたしは彦星だからねッ」 夜空で輝く二つの星とそれを分かつ光筋の位置関係。 それはこの瞬間、彼女らが地上に作った星空とぴたりと重なっているのだった。 ほのかの家はベガ。光流れる国道が天の川。そして少し向こうのなぎさの家がアルタイル。 それも刻々と夜空を動いていく星達だから、このわずかな時間だけが許される二つの宇宙の一致であった。 「・・・なぎさ?」 「んっ?」 「・・・私・・」 その身を後ろのなぎさにもたれかけて委ね、ほのかがそっと囁いた。 「・・来年もここでなぎさに逢いたい」 「うん・・あたしもさ、これからもずっとほのかと二人でこの星空を見たい」 なぎさの腕の中で、幸せをもたらす言葉に幸せをもたらす言葉が返される。 なぎさの手をキュッと握るほのかの首筋になぎさの唇が触れたかと思うと、ほんのりと赤い跡を残して離れていった。 「でも・・」 お返しとばかりになぎさの手に唇を重ねるほのか。続けて柔らかい声を二人だけの空間にそっと添えた。 「・・私達はずっと一緒・・織姫と彦星みたいに離れ離れになったりしないよね?」 「当たり前じゃん。ほのかが織姫になれるのは七夕だけなんだもん。普段はほのか。あたしのいちばん大切な人なんだから」 「ありがとう・・なぎさも私のいちばん大切な人よ」 見合わせるなり二人で幸せの笑顔を共有する。 二人の世界に何も心配する事などなかった。 「あたしらがこれから離れ離れになるなんて・・」 「ありえないッ!」 「あはは、そうそう」 静かだった世界に少女達の笑い声が洩れる。 そんな笑い声が溶けているのは間違いなく至福の時間の中にであった。 「ほのか?」 幸福の時間に十分に酔いしれると、やがてなぎさが言う。 「・・そろそろお祭りに行こう?」 「ええ、服も乾いたしね」 「それに林檎飴があたしを待ってるしさッ」 「もう・・なぎさはそればっかりなんだから」 「あはは、ごめんごめん。じゃあ行こっか?」 「ええ」 なぎさが先に立ち上がるとニカッとその手を差し出した。 「ありがとう」 「うんッ」 夜空でまたたく星達は先程よりまた少しだけ西に傾いていた。 そんな満天の星空の下ではかすかな風にその身を委ねるけやきの木。 そして、さらにその木の下で二つの影が繋がった。 やがて幸せで染まった二つの影は重なるように揺れながら小さくなっていく。 「足元・・気をつけてね」 「ええ・・ありがとう」 そんな二人を、けやきの木はいつまでも優しく見守り続けるのだった。 |