春が訪れようとしていた。 空ではいくつか小さな雲が悠々と泳ぎ、都会の淡い光をその姿に写している。 その姿は、まるで闇に隠れた自分の存在を地上の人々に主張しているかのようであった。 逆に、はるか上空から見下ろす街は、小さな光を集めて一つの光としてまたたいていた。 その一つ一つの光の中で、人々は独自の物語を進めているのだろう。 見渡す限りの光の海。そんななか、一際光を抑える建物が目立った。 その都会の景観とはなんとも不似合いな屋敷は、周りの建物とは調和することもなく、異なる方法によってその姿を主張していた。 ―明日へ― その少女は、屋敷の縁側で一人膝を抱えて座っていた。蜂蜜色のショートヘアにキリッとした目が特徴的。 また、普段部活で鍛えたしなやかな筋肉が、季節を問わず少し日に焼けした肌に包まれている。 そのプロポーションは一ヶ所を除いてはかなりの魅力を誇っていた。 そんな彼女の少し茶色がかった瞳に映るものは、目の前の広い庭で揺れる木々たち。どこからか少し冷たい風がやってくるたびに、その身を震わせては葉擦れによる波の音を奏でていた。 そしてその都度、同じように彼女もまたその小さな体をブルッと震わせた。 「・・・うぅ・・寒っ」 体を丸めて彼女は呟いた。 春の訪れが近づいているものの、部屋の中に比べると、夜の外はまだ少し寒い。 ただ考え事をする時は、どうしてかこの縁側が落ち着いた。 「まだいたの?」 縁側の向こうからもう一人の少女が言った。 「まだ夜は冷えるし、長居すると風邪ひくわよ」 「・・うん?ちょっとね」 縁側に座る少女とは対照的な彼女。腰まで届かんばかりの美しい黒髪に、雪のように白い肌。その身に纏った肌と、透き通るように穏やかな声が、彼女の気品溢れる容姿を一段と引き立てていた。 そんな彼女の髪に風が触れる。風は、その髪からほのかに薫った香りをそっと遠くへと運んで消えていった。 「・・はい、ココア」 自分のカップに一口つけながら彼女は言った。 「体、暖まるわよ」 「うん、ありがと」 隣に座る彼女から差し出されたカップをそっと受け取る。二つで一つだった湯気が、二つの小さな湯気へと別れていった。 片方のカップはすっかり冷たくなった少女の手をゆっくりと暖めた。 「それで・・何を考えてたの?」 「・・・うん・・」 友人は、カップに一口つけた後、それを両手で包みながら答えた。 「なんだかさ、一年なんてホントあっという間だったなって」 「えっ!?そんなこと?」 「ちょっと、そんなことって、あたしを馬鹿にしてるでしょー?」 「ふふ・・冗談よ。あれからもう一年も経つのね」 「なんだか一瞬だったね」 あれから一年―― 結局、もう闇の者達がやってくることはなかった。 おかげで、二人は平穏な日々を過ごすことができた。 何の心配もなく、部活に打ち込み、勉強に打ち込んだ。二人で時間を共有することもあれば、時には二人遠く離れてお互いの時間に費やすこともあった。 全てが終わった今、それでよかったのだ。 「あーあ・・どうして幸せな時間は、こんなにすぐに終わっちゃうんだろ」 再び冷たい風が駆け抜けていった。 庭の木々達が葉を擦り合わせて縁側の少女に寒さを運ぶ。 だが、暖かいココアがすぐにその体を暖めて自分の役割を終えた。 彼女はそのカップを脇にそっと置くと、ゴロンとその場に寝転がって呟いた。 「ホントにもうあいつらはやって来ないのかな?あんなにしつこかったのにさ・・」 「大丈夫よ・・」 首だけ起こす友人を見つめながら彼女は言った。 「きっと・・もうやってこないわ」 「・・えっ!?」 あまりにもあっさり答えるその根拠が分からなかった。どうして?そう言いたそうな目をする友人に、彼女は続けた。 「だって・・正義の味方が守ってくれるもの」 「正義の味方ぁ?あはは、それ笑えないギャグだよ」 真顔でそんなことを答える彼女に、友人は笑い飛ばして続けた。 「そんなこと言うなんてどうしちゃったのよー?テレビの見過ぎだよ。本気で言ってるの?」 「・・・ええ・・本気よ。きっと、私達を正義の味方が守ってくれてたのよ」 相変わらず笑っている友人を無視して、彼女は夜空を見上げた。 先程まで雲の中に隠れていた月が、その隙間から顔を出していた。 都会の光と闘い、なんとかその姿を主張する星達を横目に、それはのんびりと夜空に浮かんでいた。 「だいたい正義の味方なんかいるわけ・・」 言いかけてハッとする友人に彼女は意味あり気に微笑みかけた。 思い当たる節は十分すぎるほどあった。 かつて友人や家族を守るために二人で戦ったことがある。それは自分達は意識していなかったが、結果的に世界を守ることになった。 「ねっ?いるでしょ?」 彼女の言いたかったことが友人にも伝わったようだ。先程の発言からか、恥ずかしそうにその頭を掻いていた。 そんな友人に彼女はクスリと笑って続けた。 「私達の役目は終わった。プリキュアはきっと誰かが受け継いでくれたのよ」 「そうだね・・」 起き上がった友人は頷いて言った。 「きっとどこかで、あたしらのことをを守ってくれてたんだね」 「そして、それもまた受け継がれていく・・・」 「・・・うん・・」 障子をすり抜ける部屋の淡い光は、再び二つの影を庭に映した。 気のせいかその影は先程よりもお互いの距離を縮めている。そして、冷たい風が吹く度に、その二つの影はそっと寄り添い合った。 「あたしらがさ、こんな幸せな一年を過ごせたのも・・その子達のおかげなんだよね?」 「・・・ええ、きっとそうよ・・・」 「じゃあ、お礼とか言いいたいよねー。試しに、ビンに手紙でも詰めて流してみようかな」 「ふふ、そんなの無茶よ。でも・・」 子供のようなことを言う友人にクスクスと笑いながら彼女は言った。 「・・伝わるかは分からないけど、お礼なら言えるわ」 「えっ!?ホントに?」 「・・ええ」 友人は、まるで魔法のようなことを言う彼女の次の言葉を目を輝かせながら待っていた。 彼女なら、なにかすごいことを言ってくれるに違いない。本当にそんな気がしたし、実際いつもそうであった。 「今、私達とその子達が共有してるものは?」 「そんなの・・」 だが、まるで期待外れな言葉に、馬鹿にしてるの?と言わんばかりに友人は言った。 「時間に決まってるじゃん。それがどうしたのよ?」 「それもそうだけど・・」 彼女は目線で夜空を促して言った。 「他にもあるでしょ?」 その夜空には、相変わらず真ん丸い月がポカリと浮いていた。 それをうっとりと眺める彼女の目線に、自分の目線を重ね合わせると、ようやく友人にもその意味が分かったようである。 「・・そっか」 「ふふ、お礼・・・言いたいんでしょ?」 なるほどと手のひらをポンと叩いて感心する友人を横目に、彼女は先に立ち上がって手を差し伸べた。 そんな彼女に、座ったままの友人は上目使いで尋ねた。 「・・・届くかな・・?」 「ええ、きっと・・・」 フッと小さく笑うと、友人は目の前の白い手を握り、自分の体重を彼女に預けて立ち上がった。 その拍子に、勢い余ってふらつく友人を肩を掴んで支え、思わず笑い合う二人。 そして、重なり合った手が、自然と指を絡めて一つになった。 「・・なぎさ?」 ほのかが言った。 「もう言いたいこと決まった?」 「・・うん」 なぎさが尋ね返した。 「ほのかももういいの?」 「・・ええ、いいわよ」 「よし、じゃああたしからいくよ?」 「・・ええ」 あたしらの気持ちが伝わるかは分からないけれど、どこかできっとこの同じ月を見てるあなた達へ。 何処の誰かは分からないけれど、どこかできっとこの同じ月を見てるあなた達へ。 一瞬風が止まり、静まり返った世界で、二人はスッと小さく息を吸い込んだ。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 夜空では無数の星達が輝いていた。その光は澄み切った空気を通って地上まで到達する。 一方地上からも、その町の家屋から零れ出た光が舞い上がっていった。 そして、その二つのまばゆい光がぶつかる境界にできた淡い光の帯をかき消して、星空に輝く月がその姿を誇らし気に見せつけていた。 「はぁ・・微妙なパンしか残ってないじゃん・・・」 「ふふ、咲はいつでも食べられるでしょ?」 大空の樹の下。咲と舞は、その張り出した根の上でクスリと笑い合った。 先程までの大騒ぎが嘘のように、そこでは静かでゆっくりとした心地よい時間が流れている。 今日のその場所は本当に二人だけの聖域であるかのように、空間や時間、その小さな世界が二人を中心に回っていた。 もちろん、先程までの騒がしい時間が嫌になって逃げ出したわけではなかった。 「だいたい・・」 咲は口を尖らせながら言った。 「・・満がメロンパンを食べ過ぎるから悪いんだよ」 チョココロネにメロンパンにその他数種類のパン。父親と一緒に十分な量を用意したはずであった。 でも今、手元にあるのは残り物のパン一つ。 思い返せば、満が途中から姿を暗ませていたような気がした。それと同時に、確かにメロンパンの数もかなり減ったような。 「そういえば・・」 残ったパンを見ながらブツブツと言うそんな咲を横目に、クスクス笑いながら舞が言った。 「薫さんもチョココロネをたくさん袋に詰めてたような・・」 「薫が!?いや、薫はそれはないでしょ~」 「うん、なんだかみのりちゃんに頼まれたみたいよ」 実のところ、薫はチョココロネを手土産にみのりと二人っきりになろうという魂胆であった。 そんな薫だが、ホントのことを知らない咲はみのりの姉として、いつも迷惑をかける妹の面倒を見てくれる彼女に申し訳なく、また感謝していた。 「まったく・・ホントみのりったら・・」 二人の元に残ったパンを物足りなさそうに見ながら、咲が姉の口調になった。 こんなはずではなかった。 予定では今頃、先程買った暖かい缶コーヒーを舞と共有しながらチョココロネを頬張っているはずであったのだ。 「ごめんね、舞・・」 「・・・気にしなくても・・」 舞は、計画崩れでしょんぼり言う咲の手の上から自分の手を添えて言った。 「私は咲と半分こできるほうがいい・・かも」 「えっ!?」 「・・ううん、何でもないわ。ほら、私には多すぎるから半分くらいがいいかなって」 パンが二つに別れた。咲には少し物足りない気もしたが、たまには半分こも悪くはない。 時間や空間だけでなく、今二人は、食べ物までも共有していた。 「みんな・・」 パンを一口含みながらふと咲が言った。 「心配してないかな?何も言わずに出てきたけど・・」 「きっと大丈夫よ・・よくあるじゃない?私たち・・」 「あはは、それもそうか」 咲はもう一口パンをかじりながら一人納得していた。 一方舞はというと、先程思わず言ってしまった言葉に、薄闇の中で頬を赤らめながら俯いていた。 するとしばらくして、そんな彼女の右手に何か暖かい物が触れた。 「あたしも・・」 顔を上げると、咲が薄闇を跳ね退ける太陽のような笑顔で言ってくれた。 「舞と半分こできてよかったよ」 「咲・・ありがとう」 クスリと笑い合う二人。 一本の缶コーヒーをその間に挟んで、二人の指が絡み合った。 「でも、あたしが主催しといていなくなるなんて怒られないかな?」 しばらく無言でかじっていたパンを食べ終えると、思い出したように咲が口をひらいた。 実は今日、咲の急な思いつきで開催されたのが小さなパーティー。それは友人や家族を呼んだだけの小さいものであったが、二人にとってはかけがえのない会であった。 「いいじゃない、一緒に怒られてあげるわ」 「・・・よくないってば・・」 あの瞬間、世界が無に還った。もう全てを諦めかけた。でも、その時に目の前に浮かんだ希望の光こそが家族や友人、そして大好きなこの町の形をしていた。 そう、守ろうとしていたものに本当はずっと守られてきたのだ。 だから諦めなかった。だから今ここに世界がある。だから大切の人と未来に向かって歩いていける。 自分達は二人じゃない。 今までも、これから先もずっと。 「でもさ・・」 しばらくして、すっかり開き直った咲がその光景を思い浮べる表情で言った。 「よかったよ・・満と薫」 「ええ、今日の二人・・とてもいい顔してたわ」 「うん・・でも、二人とはいろんなことがあったね」 霧生満と霧生薫。二人は咲と舞の人生の中で決して忘れられない存在となるであろう。 初めて出会った時、お互いに用意されていたのは皮肉な運命であった。お互い戦い合うという残酷な運命。 でも、その運命を変えようとしたのが満と薫。正確に言うと咲と舞を含めた四人であった。 二人にとって咲と舞は自身を映す鏡であったのかもしれない。咲く花を美しく思い、舞う鳥に優しい気持ちになる。薫る風に身を委ねて、満る月に風情を覚える。彼女らと接していると冷たい目をしている自分達の姿が、いつも胸の奥をちくりと刺激した。 それで、そんな何事にも真っすぐに懸命に生きる彼女らの姿が、いつしか二人の冷めた心にはかない火を灯し、やがてそれは暖かい人間らしい心へと大きくなっていった。 また、二人にとっても満と薫は自身を映す鏡であったのかもしれない。 目の前に突き付けられた現実は二人にとってあまりに残酷であった。それでも諦めずに頑張ってこれたのは彼女らがいたからだった。 運命を変えようとする彼女らの姿。次第に人間らしくなっていく彼女らの姿。 その姿が、二人に成長の可能性を教えてくれた。諦めない気持ちを強くしてくれた。 「二人と出会えてよかった」 「・・うん・・ホントね・・」 二人は見上げた先の月の中に彼女らの顔を思い浮かべた。初めは無表情だった彼女らの顔も、今はもう浮かんでくるのはその笑顔だけであった。 ただ、彼女らがその笑顔を手に入れるためにどんな思いだったのかまでは共有できなかった。一緒に運命を変えようもがいた二人であったが、それでも、当の彼女らとは事情が違った。 でも、だからこそ彼女らの笑顔は特別な輝きを放つのである。 昨日の笑顔に今日の笑顔。そして、明日の笑顔―― 「私達・・このままずっと・・ずっと一緒にいられるわよね?」 「うん!当たり前じゃん」 あの時、二人はダークフォールの底でどんな思いを抱いていたのだろうか。自分の存在がなくなってしまうかもしれないという不安を抱きながらも運命に立ち向かうというのはどんな気持ちなのだろうか。 この先も、それは二人には決して共有できない気持ちであるかもしれない。 ――それならば、その笑顔を大切に共有していこう。 その月に映る少女たちの表情が変わった。 赤髪の彼女はメロンパンを胸に抱えて「なにか?」と言いたそうな顔を見せた。青髪の彼女はみのりを目の前に、普段はあまり見せない無邪気な笑顔を見せた。 そんな彼女らの表情に顔を見合わせて小さく吹き出す二人。それは彼女ら自身、また二人にとってもかけがえのない物であった。 だからこそ二人は願う。このままずっとこの時間が続けばいいと。 だからこそ二人は誓う。このままずっとこの時間を守ろうと。 メロンパンに夢中になる満に、みのりに夢中になる薫。それから、友達に家族。 この一年、全てのものが二人を守りそしてその成長を見守ってくれた。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 相変わらずそこに流れるのは静かでゆったりとした二人だけの時間であった。 時折吹く風が大空の樹の葉を揺らし、波の音を二人の耳に届ければ、時折空を流れる星が見慣れない光の筋を二人の目に届けた。 「でも・・」 その場で一度伸びをしてから、咲がそのまま後ろに倒れこんだ。 「・・これで・・終わったんだよね?」 「・・ええ・・きっと」 咲が倒れこんだ拍子にスルリと手が解け、取り残された缶コーヒーが舞の手に納まった。 彼女はそれを少し冷たくなった頬に押しあてて小さく微笑み、同時に優しく吹いた風が彼女の髪を揺らしていった。 「・・舞?」 そんな舞に咲も寝転がったまま笑顔を作って続けた。「・・お疲れさま」 「・・ふふ、咲ったら急にどうしたの?」 「ん?なんとなくだよ。なんとなく」 そう、なんとなく出た言葉。でもそのなんとなくの意味は舞にもまた、なんとなく理解できた。 お疲れさま――この言葉が本当に今の、そしてこの先の穏やかな時間を物語っているようであった。 だから舞からも咲に一言。 「・・咲?」 舞は夜空を見上げながらなんとなく呟いた。 「・・お疲れさまでした」 「あはは、舞も言ってるじゃん~?」 「ふふ、なんとなくよ。なんとなく」 きっとこの世界を守れたのは自分達の力だけではないだろう。いつもそこに生きる人達や自然の中に生きる精霊達が励ましてくれ、力を貸してくれた。 だから自分達にはなんとなくお疲れさま。 缶コーヒーを脇に置き、舞も隣の彼女と同じように寝転がった。 「・・すごくきれい・・・」 「・・ホントきれいだね」 寝転がった二人の目の前にはなんとも神秘的な光景が広がっていた。 上空を駆け抜ける風が目前の樹の葉を揺らしてわずかな隙間を作り、さらにその向こうで輝く星の光がその隙間をぬって煌めく。 それはまるで大空の樹にできた小さな光の果実であるかのように所々にその姿を見せていた。 「・・・私ね・・」 その光景をうっとりと眺めながら舞は言った。 「・・プリキュアになれて・・よかったと思う」 何も分からずにそれを受け入れなくてはならなかったし、戦うことに戸惑ったこともあった。 友達と戦うことにもなりかけたし、正直ほとんどが辛いことでしかなかった。 でも、全てがそういうわけではなかった。 こんな自分も少しは強くなることができた。そして、この町を大好きになった。 それから、なにより―― 「・・・うん・・」 隣で、葉々の隙間から零れるかすかな光に左手をかざしながら咲が言った。 「あたしもよかった・・プリキュアに選ばれて」 思っていた以上に何度も困難な壁にぶち当たり、その都度悲しくて悔しくて涙を流したこともあった。 関係のない人達を巻き込んでしまい、胸が締めつけられる思いに苦しんだこともあった。 だからこそ、家族や友達を守りたいと思った。今まで以上に彼らを大切に、そして大好きになることができた。 それから、なにより―― 「・・咲は」 舞がそっと言う。彼女も同じように零れるその光に右手をかざしてみた。 「・・咲どうする?もし、もう一度あの人達が襲ってきたら・・?」 「そんなの決まってるよ」 「・・ふふ、そうね・・」 ――あなたと出会えたから。あなたと今こうしていられるから。あなたとこの先もこうしていられるから。 「たとえまた襲ってきてもさ、満や薫もいる・・」 「町のみんなや大空の樹もいるわ」 「それにさ・・」 首だけ舞のほうに傾けて咲が言った。 「・・大丈夫だよ。あたしには舞がいるし、あたしはずっと舞の傍にいる・・」 「・・・咲・・」 持ち上げていた二人の腕が交差し、それから指を絡ませ合って二人の手ががっちりと繋がれた。 そこに生じた温もりが二人を暖めていく。 だが、その手が、二人が共有してきたものは温もりだけではなかった。喜怒哀楽に時間に世界までも。 舞と一緒だからここまで来られたし、咲と一緒だからここまで来られた。 その手が舞の手でなくても、また咲の手でなくてもいけなかった。 どんな時もその手を繋いで乗り越えてきた。 手が繋がれるその瞬間こそが本当に全てのものを共有でき、また最も安心できる瞬間であった。 「でも・・」 ふと咲が呟く。彼女は繋いだ手を自分の胸元にもっていった。 「あいつらはもう来ないと思うよ」 「・・えっ、どうして?」 「たぶん、あたしらの役目はさ、これでもう終わったんだよ」 「・・役目?」 「うん、あたしさ・・」 今度はその手を舞の胸元にもっていき、咲は首を傾けて笑顔を咲かせた。 「・・最近思うんだよね。どうして世界は今までこんなに平和だったんだろって」 「・・私も、プリキュアになるまでそんなこと考えたことなかった。でも・・」 「うん、闇のやつらはきっと今までもいたんだと思うんだ」 風と星の関係からか、いつのまにか光の果実は目の前から姿を消し、代わりに咲の目には、遠くの海の上に浮かぶ月が印象的だった。 一方舞は、目をつぶったまま、胸元で繋がれた手にそっと左手を重ねていた。 「じゃあ・・きっと今まで誰かが戦ってくれてたのね」 「うん、きっとそうだよ」 「ふふ、じゃあ私たちの先輩になるわね。もしホントにいたら・・きっと素敵な人達ね」 好き勝手していた目線をようやく相手のそれに合わせると、かなり現実離れした話に二人で思わず吹き出してしまった。 でも、そうだとすると自分達の役目はやっぱりこれで終わりになるということであった。 「あたしらはさ、その役割をきちんと引き継げたのかな?」 「・・少なくとも」 目の前の咲にコツンと額を当てて舞は答えた。 「私達の町も、咲も私もここにいるわ・・」 「うん、そうだよね・・」 人は町に生きているし、波は海を揺れていくし、月はなぎさに満ちていく。 舞の言う通り、世界は今までと変わらず回っていた。 だからおそらく、二人はプリキュアとしてのバトンをきちんと受け継ぎ、そして次の世代に渡せたのであろう。 「・・舞?」 咲は空いているほうの手を舞の背中に回して言った。 「これからはさ、普通の中学生活を精一杯生きよう」 「・・ええ・・・」 同じように舞もその手を咲の背中に回した。 「きっと・・誰かがプリキュアを受け継いでくれるわよね?」 「大丈夫だよ。それにもしあたしらがまた戦うことになっても舞が傍にいてくれるんでしょ?」 「もちろん。その時はまたここから始めましょ」 もう二人が戦うことはないだろう。これからは取り戻した日常を仲間達と歩んでいくことになる。 それでも、もし再び戦うことになれば、ここから始めよう。二人が出会いそして再会した、全てが始まったこの樹の下から。 「うん、そうだよね。あたし達ならきっと大丈夫」 「あたしには舞がいるし、舞にはあたしがいるから。でしょ?」 「あはは、そうだよ」 背中に回した手を解いて、二人はクスクスと笑い合った。 大空の樹も風の力を借りてその葉を揺らす。さらに他の木々達もまた、二人に同調するようにその葉を揺らした。 「そろそろ・・」 その森が奏でる波の音に耳を傾けていた舞が、しばらくして言った。 「そろそろ戻らないとみんな心配するかしら?」 「うん、じゃあそろそろ戻ろっか」 そういえばここに来てからもう結構な時間がたっていた。 おそらくみんな自分達を心配してくれているだろう。 「舞っ!」 先に立ち上がった咲がその手を差し出した。 「戻ろう、みんなのところへ」 見上げると咲が満面の笑みでそこにいた。舞にとって薄暗いその一帯でなおも咲は輝いていた。 「・・ええ」 差し出した舞の指先が咲の指先にそっと触れた。 「みんな・・待ってるわ」 すると、咲がそのまま舞の手を握ってグイと彼女を引っ張ってやる。 勢いよく立ち上がった拍子に揺れた舞の髪が咲の頬を撫で、同時に漂った上品な薫りが風に乗って消えていった。 「・・ありがとう」 「うん、じゃあ帰ろう」 張り出した根の上からヒョイと飛び降りると、二人はその樹を背に歩き始めた。 少し冷たくなった風が二人の歩調を早めようと吹き付けてくる。 だが、数歩歩いただけでその足が自然に止まり、二人はその場で振り返った。 その視線の先には薄闇のなかでぼやけた輪郭をつくる大空の樹があった。 「ここから・・」 そのぼやけた輪郭の中に、本来の樹の立派な姿を写しながら咲が呟いた。 「・・ここから全てが始まったんだよね」 「ええ・・それからここで全てが終わった」 「ううん、舞・・終わりじゃないよ」 「えっ!?」 「あたし達の未来はさ、今日ここからまた始まるんだから」 確かにこの場所でプリキュアとしての役目が始まり、そして終わったかもしれない。でもそれはまた新たな始まりなのだ。 二人はこれから今まで通りの生活に戻っていく。ボールを投げたり、絵を描いたり、友達と遊んだり、兄弟喧嘩をしたり、二人で手を繋いで笑い合う。そして、もっとたくさんのことを発見し、成長していく。 きっと二人の未来に幸せがやってくる。そう、一つの終わりは一つの始まりなのだ。 「そう・・」 先程まで二人で寝転がっていた辺りを眺めながら舞が言った。 「そうよね・・終わりなんかじゃないわ」 「うん・・始まりだよ」 二人は顔を見合わせてお互いの目を見つめて一つ頷く。なんだか言葉にしなくてもお互い何を考えているのか分かった。 二人の手がそっと繋がれた。 「大空の樹・・」 冷たい空気を吸い込んで咲が言った。 「いつも励ましてくれてありがとう」 「いつも・・」 ニコッと笑い掛ける咲に続いて舞が言った。 「いつも・・守ってくれてありがとう」 大空の樹は再び葉を擦らせて波の音を奏でた。 果たして二人の声が届いたのかはわからない。でも二人は満足気に微笑んだ。 「じゃあ行きましょ」 「うん、みんなのところへ」 そして、振り返ると二人は走り始める。取り戻した日常、輝く未来に向かって二人は走り始める。 もちろんその手はしっかりと繋がれていた。 トリネコの森を越えた先には大好きな町がある。 町を駆け抜ければ咲の家がある。そこには大切な友達も家族も集まっている。 そんな大好きな人たちと共に未来を歩みたい。そんな大好きな世界で生きていきたい。 森を駆ける二人の足がさらに早まった。でも大丈夫。 舞が一緒だから。咲が一緒だから。そして空で輝く月がその道を照らしてくれるから。 だから二人は走っていける。 この手が繋がっている限りどこまでも走っていける。 上空の月は二人の行く先を優しく照らし続けた。 月は言いました。 ありがとう。お疲れさま―― 月は言いました。 ありがとう。幸せにね―― 「舞っ!」 「うんっ!」 森と町との境界。そこを二人で大きくジャンプ。 みんなの元まであと少し。二人はその暖かい場所を目指して暗い町を駆け抜けていった。 |